生命(いのち)のダンス、魂の食(soul food)

北海道時代の恩師に借りた宇根豊さんの本の中に、

「田んぼは、トンボの生産場だ」という話がありました。

「ふむふむ。田んぼがなければ、日本にはトンボは存在出来なくなるのか。」

 

と、そのときは農業をはじめる前で、理屈を読んでいました。

 

2009年6月末、その事実を裏付けする出来事に僕は出会いました。

早朝4時、いつものように田んぼの水位を確認するため、田んぼを見て回っていました。

 

6月末の秋田の稲の姿と言いますと、ぴょんぴょんと水面に葉をもたげる位になる頃で、いよいよ、田んぼが青くなってくるぞ という季節です。

 

その日、少し大きくなってきたなぁと思うまだ小さい稲が、白っぽく変色しているではないですか!

 

「こりゃまずい、何かの病気だ」と不安になり、不耕起栽培普及会の岩澤先生に電話を掛けようとも思うほど、一瞬、目の前が闇に包まれるような不安でした。

 

おそるおそるではありますが、その白い斑点に目を凝らしてみました。

すると、きらきらと光る何かがはたはたと風になびいているではないですか。

 

おや。と思い、頭を上げ田んぼ全体に目を移しました。

驚きで、涙がこぼれそうでした。

 

水面のいたるところで、今まさにやごから孵化したばかりのトンボが、まだ自らを空に浮かせる羽の乾く間もなく、稲の上で、その背中に生えた道具を風にさらしているらしいのでした。

 

「これだ。これが答えだった。」と興奮で身震いしました。

 

もう一度、周囲を包囲する慣行栽培(農薬を使用する一般的な栽培)の田を

見回しましたが、一匹たりともその姿を発見する事はできませんでした。

 

トンボの孵化を見たのは耕さない田んぼの中だけ。

田んぼに見えた白いぽつぽつしたものは、朝露に濡れた産まれたばかりのトンボの羽です。

 

水中で生まれたやごが、大きくなって、稲に登り、

羽を乾かしているらしいのでした。

 

ようやく、朝日が黄金味を帯びてくる頃、

ふわ、ふわっと大空を目指して1羽、また1羽と地を離れます。

 

気がつくと、僕の頭上には、トンボの大群による協奏曲が流れていました。

空高く、その爽快な朝の一コマに、おてんと様からの「贈り物」を受け取った気分に満たされました。

 

もしかしたら、周りの田んぼにもこのような出来事は存在するかもしれません。定かではありません。科学ではまだ推定の域を脱しません。

 

しかし、このいのちの営み(dance)を大切にする心こそ、

魂の扶養を担う食だ。と僕は確信しています。